神さまの名札 第六話

田舎の深夜は、都市部の人間が想像しえないほどに騒がしい。
烏菜木南方に広がる田園地帯は生き物の宝庫であり
彼らは、種の面目を発揮するのは今このときだ
とばかりにその歌声を披露している。
風はそれらを運び
ここ、烏菜木海軍航空基地でも
遠く淡いながら カエルの合唱に包まれていた。

夜警当番兵の背後、地表から2メートルほどの場所に
紅い光源が二つ、揺らめいている。

光源は人の目にとまることなく
当番兵をスルリとかわし
基地内を進む。

それは二つの眼球であり、鬼の目だ。
姿無き鬼・リクサツは
一本杉に貼られた写真、その主である「十郎」を喰うため
いとも簡単に基地内部に侵入し
これまた簡単に標的である十郎を見つけ出し

「ア…厄除けの水を飲んデいる…」

と気付いてションボリと退散した。

カエル達の歌声が切なく聞こえた。

地元尾鰭神社の神主は商売熱心で、
訪れる参拝客に厄除けの水なるものを積極的に販売。
しこたま儲けを出している困った人物であったが
その商品の効果は確かだった。

ーーー

夜が明けた。
リクサツは一本杉の枝に腰掛けている。

鬼は十郎の厄除けがしばらく続くことを予想し
名札の回収を優先することを考えていた。
そのためには「毎日お参りに来る」と言った少年を知らねばならない。
思えば 昨日の初見時に後を追うべきだった、と悔いた。
今日もやって来る保証など、どこにもないのだ。
カレーを持っているときに予想外の出来事が起きると
硬直してしまうのは人も鬼も同じだった。

少年はやって来た。
昨日よりもやや早い時間に姿を見せ
両手を合わせお辞儀をし、昨日と同じ 彼なりのお祈りを始めた。

リクサツは胸を撫で下ろし
慎重に木から降り、少年が祈り終えるのを待った。
観察してみたが、どうも鬼の名札を持ち歩いているようではない。

少年が祈りを終え いざ尾行開始、というとき

「どこのガキでしょうね、旦那」

いつの間にか たぬきが隣に居た。

「…」

リクサツとたぬきは少年・典八の後を付かず離れず、歩き始めた。

ーーー

空に夕焼けが広がるころ
典八は居候宅に帰ってきた。

玄関で家人と顔を合わせると
典八は「ただいま」と言わず、ただ頭を下げた。
家人はそれに目も合わさなかった。

典八は履物を脱ぐと隅に揃え 廊下を進む。
そして突き当りにある引き戸を開け、中へと入り、閉める。
立てかけてある 小さなちゃぶ台に手を伸ばし、安堵する。
その間、一切の音を立てまいとする気遣いが所作に現れていた。

かつてこの家の物置として使われていた二畳ほどの空間で
典八は静かに横になった。
どうあれ、自室を与えられたことは幸運に違いない。
例えこの家の人間が典八の姿を視界に入れまいとした結果だったとしても。

いつしか目を閉じ うっすらと寝息を立てていた。

家の人間の話し声が聞こえてくる
夢見ながら聞こえてくるのは自分への…

典八は怯えて起き上がり その勢いのままちゃぶ台に手を伸ばした。
この部屋にあるほぼ唯一の家具と言っていい。

立てかけた ちゃぶ台の裏。
そこは宝物の隠し場所だった。

兄がくれた、習字の道具。
おみくじの小筒。

典八は小筒を手に取り蓋を開け
中から紙切れを取り出した。

おみくじに代わり そこに収められていたのは
昨日 一本杉の神さまから授かった札だ。

「かみさま、かみさま」

幼い少年は決して家人に聞かれぬよう
小さな声で すがった。