七日神 第一話

座敷の奥に
蠢くものがある

擦り切れ 変色した畳に
身体をこすり
もぞもぞと動いている

その得体を隠す部屋の暗さは
まだ陽の高い午後とは思えず
ここが家の中で最も奥づまり
人目につかない場所であることを示している

照明はないのだろうか。
天井を走る碍子(がいし)引き配線は
ボロボロの被覆にホコリを纏いつつ
辛うじてその役目を果たしている。
しかしながら
和風の蛍光灯照明器具は
蜘蛛の巣に覆われ
プラスチックの笠がすでに半壊し
真っ黒に変色した点灯管は何年も取り替えられていない。
引き紐を引いたところで、明かりはつかない。

這う腕が畳に置かれた食器に触れる。
コロコロと転がる茶碗にこびり付いた汚れは
この部屋主が清潔さとは無縁であることを知らせ
畳に染み付いた鼻腔を突く臭いは
長年、この部屋で行われてきた行為を物語る。

障子戸がガタガタと鳴る。

かつては音もなくスルリと開いた戸は
今では半分開くにも難儀し
それ以上はビクともしない。

戸が動き、ようやく出来た空間から
初老の男性が部屋を覗いた。

「そろそろだ、…行くべ」

蠢くものは
よたよたと立ち上がり
男の手を掴む

差し込む光により
辛うじて浮かび上がるのは
白髪の混じる長い髪
皮膚に刻まれた皺
垢にまみれたシャツから覗く
垂れた乳房

それが
年齢に似つかぬ無邪気さで 笑った。

 

『七日神』(なのかがみ)

 

八月も終わりに近づき 残暑も引くかに思えたが
その気配は一向に無く。テレビを点ければ
熱中症注意報だか警報だかがテロップで流れている。

天候に恵まれたおかげで
稲の刈り取りは例年よりも早く
早稲(わせ)は月はじめには収穫され
いまの主品種の刈り取りは遅まきとさえ言える。

烏菜木市南部に広がる田園地帯。
この地で選択される主な品種はコシヒカリ。
酒蔵に納品する酒米を作る農家もいる。
モチ米としてはツキミモチ。
これは収穫の難しさから農協が扱いを停止した
品種だが、味が良いため一部の農家が種をつなぎ
しぶとく栽培を続けている。

生産される米のほとんどが地元で消費され
流通にのることがないため知名度こそ低いが
『烏菜木米』は知る人ぞ知る『おいしいお米』だ。

ーーー

日曜日。
陽も高く蒸し返す暑さのなか
制服姿の男性がふたり
並んで歩いている

制服は群青色にオレンジのラインが入っている
その姿を見れば
彼らが何者であるかを知らぬ者はいない

帽子を目深に被り
ダルそうな足取り
気乗りしない目的地なのだろう

一軒の民家の前でとまり
じょうぼ(※)を上がると
ひとりがドアへと腕を伸ばす
(※大雑把に、玄関までの私道のこと)

押された呼び鈴は
遠く田のなかで稲を刈り取り進むコンバインの
地響きのような唸りにかき消されたかのように思え

残るひとりが
もう一度、腕を伸ばした

「…あら、久しぶり! トクくん…!
元気してた? お家の方は元気?」

応対に出たのは中年…いや初老の女性
甲高い声と作り笑いは
ふたりの予想した そのものだった

『トクくん』と呼ばれた青年が話を始める

近くでセミが鳴くと同時に
田から聞こえる轟音が
いっとき、鳴りを潜めた。
操縦者が休憩のためコンバインから降りる姿が見える。
鳴いていたセミがジジジ、と漏らし飛んでいった。

「…ウチのはねぇ、仕事で帰りも遅いし…
帰ってきたらクタクタで…
ちょっと無理…なんじゃないかなぁ、て」

そう返答をする 初老の女性は作り笑いを崩さない。

「…仕事をしているのは私たちも同じです」
年長の青年が返す。
だらりと垂れていた手が握り拳に変わっている

年長の青年ー『田村』の声質から察したものがある
『トクくん』ー『千田トクタイ』は咄嗟に話題を変えた。

「…えっと、マルオくんはいま、いらっしゃいますか?」

「…いまねぇ、外出しちゃってるの」

ふたりは顔を見合わせた。
今日、この時間に来訪することは事前に伝えておいたはずだが。

ーーー

相変わらずのコンバインの轟音と
合間に聞こえるセミの鳴き声が
炎天下を歩く制服姿のふたりを包み込んでいる。

「…はぁ、だめでしたね。てか、会えませんでした」
「断るなら自分で断れよなあ」
「外出してたって」
「いるよ。車あったじゃん」
「ありましたけど…あれ、本人のですか?」
「…だろ?」
「知りませんよ」

ふたりには目的を達成出来なかった落胆もあったが
気の重い予定をひとつ終えた開放感もあり
行きとは違い、帰りの足取りは軽く
口の方も同じように動いた。

「おれ、まじイヤなんですけど
6年目やるなんて」
「それ、山本さんの前でいうなよ
あの人13年やってるからな」
「まぁ…他所じゃ20年とかいるらしいし…
…このハナシになると必ず『抜けられない年数』自慢
みたいなの、始まりますよね」
「自慢じゃねーけどな。
逆の立場になったら…言いたくもなるだろ」
「田村さん、何年でしたっけ?」
「俺? 8年目だ」
「8年か…」

しばし、田から聞こえる地鳴りが
ふたりの無言を埋める。

「また出直します?」
「…まぁな、来月あたりまた行くか」
「今度は全員で行きません?」
「あー…そうだな」

歩くすぐ横で
田の縁で停止するコンバインから大型の筒が稼働を始め
道端に停めてある軽トラックの荷台へと伸びると
バサバサと刈り取った稲を放出し始めた。

ふたりは巻き上がる稲籾の粉塵から
逃れるため 顔を覆いながら十数メートル走り
それからゆっくりと歩を戻した。

「ふぅ…は、これってさぁ…
ジョジョの『スーパーフライ』って知ってる?
まさにあれだよなぁ…」
「あー…なんかテレビの企画で見たことあります…
あれ第二弾どうなったんすかね」

現在の目的地、消防機庫まで着くと
ふたりはシャッターを持ち上げ
トクタイが格納されている消防車の脇を身体を捩りながら進み
小型冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し
また狭い空間をウネウネと身体を捩らせ戻ってくると
一本を田村に渡した。

「おつかれさまです」
「おつかれさん」
「それ、…飲むのは家に着いてからにして下さいよ」
「当たり前だろ」

田村は停めてあった自家用車へと向かいながら答えた。

C県烏鷺(うろ)郡市広域市町村圏組合消防本部管轄
第11支団第4分団第1部。
俗に言う『地元消防団』に所属する彼らは
既に十分な期間の地域貢献を果たし、円満な退団を熱望している。
来年こそは抜けたい。
しかしながら、退団のためには自分の代わりを見つけて入団させねばならない。
団員の定員数は厳守。地域ごとに何名、と細かく決められている。
少子高齢化が叫ばれて久しく、団員として勧誘出来る年齢の男性は限られ
というかそもそも誰も消防団なんてやりたくないので
新入団員勧誘はめっちゃ大変だった。

 

「あっちぃな〜」
千田トクタイは空を見上げた。
缶ビールのプルタブが跳ね
プシュっと小気味の良い音が鳴った。